鴻之舞鉱山の鉱物

「雪質は未だ堅雪には早く、雪中に半身を没しつつ、寒中ながら一歩に一喘ぎ、流汗淋離、辛うじて元山沢を登りつめ、鳴沢氏の言う処の山頂に達した。偶々、其前年此辺を見舞った山火事の為に、頂上付近一帯の密林は悉く焼き払われて見通しよく、且つ風通しもよい為、雪中ながら幸いにも、岩角の一端が露出して居た。疲れも忘れて近づいて見れば将に年来夢に迄描いた石英の大露頭であった。尚、雪を払って凝視すれば奥床しい銀黒の縞が見える。而も続いて数十米先に第二露頭の一角も発見された。沖野氏は歓喜に手の舞足の踏む処を知らず、先ずリュックをおろしてハンマーを取り出し試料採集を始めた。鉄槌一閃、千古の夢を破る槌音高く青空に冴え、戞然として幽谷に谺まし、茲に始めて幽遠の眠りから醒めた大鴻は、雄々しく羽ばたいて、天下雄飛の第一声を挙げたのである。」

0 この文章は探鉱家「今掘喜三郎」が書いた後の鴻之舞鉱山となる大露頭を最初に発見した「沖野永蔵」の発見の瞬間です。その後、沖野は飯田など数人と組合を結成し採掘事業が開始します。金の品位は高く鉱況は良かったのですが事業資金が乏しく事業開始の大正五年からわずか一年足らずで住友鉱業に売山されることになります。買収額は90万円(今の金額で十数億)で、その後鴻之舞鉱山は東洋一の大金山とと発展し、住友は予想以上の莫大な利益をあげることになります。

大正六年の買収後すぐに精錬所の建設翌年には発電所なども竣工し大正7年12月からは本格的に操業が開始され大正8年には元山第一通洞開坑、大正12年には元山第二通洞完成、同年元山本鉱床の大富鉱帯に着脈、昭和4年元山第1鉱床着脈、昭和6年倶知安内5号坑第1通洞着脈(わが国第1の含金銀鉱床)、昭和9年元山第2鉱床着脈、この鉱床は2000グラム/トンの高品位であり金屏風と呼ばれた。従業員数は多いときで4552人に達し狭い谷間に3000戸の従業員住宅が立ち並び人工も15000人に達し病院、学校、市場、娯楽施設、集会場などもでき大きな町を形成していました。その後、昭和18年に休山保坑、昭和24年に復旧、昭和48年に閉山し半世紀にわたる「金より重い歴史」に幕を閉じます。 (参考文献:浅田政広著「北海道金鉱山史研究」)

現在の鴻之舞は誰も住んではいなく、永遠に続く排水処理のための設備、密林の中に突如として立っている煙突が目立つぐらいで注意して見ていないと車では気づかずに通り過ぎてしまうほどで、かつてここに大きな町があったとは思えないほど草木に覆われ、もとの自然に戻りつつあるようです。

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商品番号  KOU047
標 本 名 含金銀鉱石(銀黒) <大型>
産  地 北海道紋別市鴻之舞鉱山
サ イ ズ 210x105x75mm / 2,320g
価  格 ¥12,000